身代わり地蔵

〜2012年(8月) comments(0) trackbacks(0) そうる
 

身代わり地蔵

 

お話として読んでください。(笑

 

「かわり身」・・・一般的には「変わり身」という書き方をするようだが、この場合はあまりいい言葉ではない。

私のイメージは 「誰かの代わりに」という意味である。

 

親は 子供が病気になったり 何か障害を背負ったりしたとき

「代われるものなら・・・」と思うだろう。

しかし、実際は 「代わること」はできない。

はがゆい・・・。

 

妻が「つわり」・・・旦那は そういう妻をみて 自分も「つわり」になったような気がしたりする。(笑

どうしてだろう?

 

「身代わり」

そういうことってあるのだろうか?

「かわり身」

そういうことってあるのだろうか?

 

私的視点ではあるが、

「自分」というものを確立していない

「自分」の「器」を把握していない

「自浄作用」をもたない

自ら「エネルギーを作る」ことのできない

そういう者は

「かわり身」や「身代わり」になろう。・・・などとは 決して思ってはいけない。

 

基本、「自分のことは 自分で」である。

 

しかし、どうしても思ってしまう・・・。

そういう時は 「自分の 分」をわきまえることだ。

どこまでなら 自分が「背負える」のか?

どの程度までなら 自分は「持ちこたえられる」のか?

それを知らずして 思ってはいけない。

自分を滅ぼすことになりかねない。

 

もし、思うのなら

「思いをかける」

「祈る」

「願う」ことだ。

自分の「分」以上のことは 望まない方がよい。

自分の「命」をすべて差し出してはいけない。

自分の「命」のすべてをかけてはいけない。

生きていてこそできることがあるからだ。

 

「願い」「祈る」気持ちをかけるのはよい。

「命」までかけるのは おかしいことなのだ。

まして「かわりみ」「身代わり」など するではない。

 

しかし、

無意識にそうなってしまっていることがある。

気をつけねばならない。

 

 

 

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