安全神話

2008(8月)~20011(8月)までの記事 comments(1) trackbacks(0) そうる
 昨今、「原発事故」により「安全、クリーンなエネルギー」という「神話」は崩壊したと見る。

「放射線」「放射能」「被爆」・・・
こんなことは第二次世界大戦において日本は経験していたはずだった。

東北においても先人が「ここから下に家を建てるな」という警告を無視?知ってか知らずか・・・。

過去における「経験」「体験」を先人の「知恵」を
ムダにした結果・・・ともとれる。

確かに、先人の「知恵」だけに固執するのもよくないが、
「考慮」すべき事項だとは思う。

「温故知新」

これを基盤に 「創造」し そして今現代において時代にマッチするように「調和」させていかねばならない。

「今までこうだから・・・」
「前例がないから・・・」
も、言い訳にしかすぎない。
これは「温故」だけである。

歯科において「放射線量」の話なのだが、
レントゲン撮影時・・・
パノラマ(お口全体を撮影)・・・0.0436ミリシーベルト
デジタル撮影で・・・0.0391ミリシーベルト
となる。

世界平均1人当たり年間自然被爆は 2.4ミリシーベルトと言われる。
健康診断時 肺のエックス線撮影では 0.05ミリシーベルト(1回)
         胃のエックス線撮影では 0.6ミリシーベルト(1回)

こう比べてみると どうだろう?
少ない?多い?
安全?

数値でしか測れないが・・・これを 安全・・・と呼べるだろうか?

医療の現場では 「益」と「害」は常に背中合わせである。
どちらがより勝るかで 方針が決まるわけだが。

この世の中に、
「安全」、全く安全・・・というものが存在するか?

かといって すべてを「危険」「害がある」と判断し 避けるとしたら・・・
たぶん人は生存できないであろう。

であるから・・・
「なるべく安全」「健康に害を及ぼさない」という「予想」「推測」のもと
方針が決まる。
また、
「害」よりもその人にとって「益」が勝る場合に 「害」、「もしも・・・」に備え方針を決めることになる。

「レントゲン撮影」はまさにその1つであろう。

しかし、「レントゲン」自体、「放射線」「放射能」は「目に見えない」だけに、「不安」を感じてしまう。
「見えない」・・・そう見えないものに 「恐れ」を感じ 「不安」を感じるのだ。

であるから、
「有益」であったとしても 「慎重」に扱うべきものである。

ましてや「害」が即座に発見できるものであればよいが、
ジワジワとくるものに関しては 慎重にならなければいけないし、
「量」だけを云々言うのも おかしい気がする。

「少量」であっても 絶対安全!とは いえないだろうからである。

「安全」というのは 「予想」「推測」・・・悪く言えば「思い込み」であるからだ。

かといって 「安全」をないがしろにしてはいけないし、
「より 安全に」を追求せねばならない。

患者さんが 「安心して」来院でき 「安心して」治療を受けられるよう
私達は常に配慮し 努力してゆかねばならない。

書類で「安全」は保障されない。
数値だけでも「安全」は保障されない。

情報によっても同じ。

「安全」という「神話」は 作られたものであったことに人々は気づいたはずだ。

私個人は 「日本人」であるが故に
原発は要らぬ・・・と思うのだ。
どんなことがあっても、コスト云々よりも、不自由があったとしても、都合悪くても、
原発は 安全・・・とは到底思えないから。
放射線、放射能は「見えない」から。

「見えないから」・・・いい・・・というものではないはずだから。
「見えるから」・・・安全・・・というものでもないから。

「より 安全に」を目指すには 「根本」を見据え 考えていかねばならない。
し、
行動してゆかねばならない。

「安全」は 人が作り出した「神話」であるのだから。
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