大原則
47にして思うこと | comments(0) | trackbacks(0) | そうる |
自然には 「原則」というものが存在する。
物事、出来事
それぞれが そうなる。
その理由を 「知った」・・・見た 聞いた 触った・・・
そしてそれが 「そうなんだ」と 理解した。
経験をし 体験をし
それを 「知ろう」と、「わかろう」と
あれやこれやと試行錯誤 思索し、
あ〜でもないこ〜でもないと。
ある日、
「あっつ!」 と、閃き
目の前が明るくなる。
「な〜んだ そういうことだったのか。」
「わかったぞ。なるほどなあ。」と。
しかし それは 「わかった」だけのこと。
自分自身が「納得」しただけのこと。
「わかった」つもりになってはならぬ。
たかだか「気づいて」「わかった」だけのこと。
そう「原則」にちょいと触れただけのこと。
その先にある・・・ 「大原則」の足元にも及ばない。
「わかった」「納得した」「腑に落ちた」・・・
それは 「自分」という立場において の そうであって
すべてをわかったつもりになってはならぬ。
「自分」が 「自分」の立ち位置で 「わかった」だけのこと。
そういうことが わかっているから そういうことを知ると・・・
その先が 見たくなるのだ。